高校生の不登校は「甘えだ」と言われることがあります。
私が運営しているキャンパスに来る不登校の高校生を見ていると、甘えの一言では片付けられない気がしています。
不登校の高校生と言っても、いろんなパターンがあります。
- 中学生から不登校だった
- 高校に進学してみたけど不登校になった
など。
不登校になる原因も、家庭環境に問題があったり、学校内の人間関係に問題があったり、その子によって様々です。
不登校を一括りにして「甘えだ」とは言い切れないでしょう。
では、なぜ不登校は甘えと言われるのでしょうか。
不登校が「甘え」と言われる原因
不登校が甘えと言われる原因は、不登校の子どもにはありません。
不登校の子どもに何か原因があって「甘え」と言われるのではなく、「不登校は甘えだ」と言っている人に原因があります。
甘えることは悪いこと、という考えが根底にあるのかもしれません。
甘えることは悪いことなのでしょうか。
私も、いろんな人に甘えまくっています
仮に不登校が甘えであったとして、誰に迷惑をかけるのでしょうか。
- 親?
- 学校の先生?
- 不登校は甘えだ!と責めてくる人たち?
不登校になると、親に心配をかけるかもしれません。
でも、親は不登校を治すよりも、我が子が笑顔で生きてくれることを望んでいるはず。
不登校になると、学校の先生が個別に対応しないといけない事が増えます。
でも、それも仕事のうちという事でよろしくお願いします。
親や学校の先生には少し迷惑というか、心配をかけてしまうかもしれません。
不登校を「甘え」という人の心理
不登校を「甘えだ」と責めてくる人たちにはこんな心理があります。
私だって我慢してるのに、不登校になって休めるなんてズルイ!
不登校になった子は、周りから「学校を休んでいる」という風に見えます。
学校を休んでいるという事実しか見えません。
不登校になる子は、心が疲れてしまって動けないんだと思います。
人にはそれぞれ事情があるのです。
不登校は甘えだと責めてくる人は学校やその他のことを我慢して、生活を送っているのかもしれません。
我慢して学校へ行く、それはその人の選択です。
不登校のことを責めるのは、自分の選択に不満がある証拠です。
人にはそれぞれに事情があるし、それぞれの環境があります。
物事には、表と裏がある。
どこからの出典かは思い出せなくて恐縮ですが、物事には裏と表があります。
一見良くないように見えても、見方を変えると良いことだったりします。
それに、不登校のことを甘えだと責めてくる人には何の迷惑もかけていません。
甘えだったとして、甘えることが悪いこととも限りません。
疲れたら休む、それだけです。
不登校になったせいで、学歴が、理想とは違うことになってしまったとします。仮の話です。
でも、それはそれで素晴らしい人生になります。
親が用意した高学歴こそ、最高の人生という平均台のようなレール。そこから落ちないことこそ幸せと思い込んでたけど、平均台から落ちたら、広大な大地が広がってただけって、何億も稼いでる人が、本に書いてた。
— 北島悠悠 (@kitajimahs) July 9, 2020
私のツイートからの引用で恐縮です。
- 高1の途中からでも
- 高2の途中からでも
- 高3の途中からでも
同級生に遅れず高校卒業を目指せます!
不登校や体調不良に理解のある先生が揃っています。